言葉を失った瞬間が一番幸せ

本・映画・野球・テレビ・時事などについて思ったこと。

原田宗典をひさびさに読みなおそうと思った。

 作家の原田宗典が、覚せい剤所持の容疑で逮捕された。最近、原田は新刊もあまり出しておらず、ひさびさに名前を聞いた方も多いだろう。最近は、だいぶおそくデビューした、妹の原田マハの方がずっと売れている。山本周五郎賞も受賞し、じき直木賞も受賞しそうだ。もはや、「原田マハは、原田宗典の妹」から、「原田宗典は、原田マハの兄」に変わりつつある。

 1990年代、30歳代の原田は売れっ子作家だった。実際、古本屋でも、当時の古い版の集英文庫、新潮文庫ばかりが並んでいる。ネットでは、高校時代に読んでいたとの声が多く見られた。現在、当時の原田と同じ年頃になっている。

 自分は、世代はだいぶ異なるが、それからおよそ10年後の高校時代原田の愛読者だった。原田の本を、家でも学校でもよく読んで、笑っていた。あまりによく読むので、もはや他人とは思えず、知り合いと思っていたくらいだ。

 ところで、自分も含め、多くの読者は、原田のエッセイの読者だ。自分は、小説は一冊も読んでいない。「スメル男」や「平成トム・ソーヤー」などの少しSF的な異常の状況の小説には、興味が持てなかった。作風のせいもあるだろうが、文学賞には一切縁がなく、ニュースで述べているように、すばる文学賞佳作しか受賞していない。

 読んだ原田のエッセイを、挙げれば、主に「スバラ式世界」、「十七歳だった!」、「わがモノたち」、「はたらく青年」などがあり、懐かしい。一番最近では、「私は好奇心の強いゴッドファーザー」を読んだ。映画と共に、亡き父の思い出を描いた名エッセイだった。

 原田のエッセイは、いつも原田のとほほな失敗談、経験談ばかりだ。しかし、原田は、文章、言葉を使って、それらを思わず吹きだす、笑ってしまう話に変えて、多くのエッセイを生み出してきた。

 ただ、自分たち読者は、それらを笑うだけではなく、それらから学んでいた。「失敗してもいい、だめでもいい、それはネタになるから」と。以来、高校時代から、自分は面白くもないくせに、原田のまねをして、やたら、失敗話、自虐話ばかりしている。周囲は、しらけていただろうが、自分としては開き直って、少し楽になった。

 原田は、私小説家としての方がよほど素質があったのかもしれない。昔の経験をあれほど、詳細に、かつ面白く語れるのだから。特にしばしば語る放蕩の父親の話は、十分な題材になりそうだ。しかし、それらのネタは、エッセイに使わざるを得なかったのかもしれない。だからか、小説は、逆にだいぶ現実離れしてものばかりだ。エッセイストとしての活躍は、小説家としての活躍を閉ざしてしまったのだろう。

 中島らもも、大麻所持で逮捕されたが、その経験を『牢屋でやせるダイエット』として、開き直って書いている。原田も、逮捕という、とほほな出来事を作品に昇華してほしいと思う。それを願って、ひさびさに原田のエッセイを買った。